論潮メモリー


同人の論文や著書をご紹介しております。

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詳細情報 :::伊藤佐枝


日本近代文学に於ける〈親密性テロリズム〉の様相・序説
――志賀直哉『范の犯罪』を起点として――(前篇)

志賀直哉の初期短篇『范の犯罪』における夫婦の損われた関係性とそこから来る暴力の描かれ方を手掛かりにして、日本近代における男女の関係性の明暗を文学がどのようにえぐり出したかの一端を、理論的にはアメリカのカップル・セラピーの現場から生れたミラーの「親密なテロリズム」という概念に依拠し、武者小路・里見・漱石・藤村・有島・横光の作品記述の分析に探る事を試みた。続きは「論樹」に断続連載中。写真は、「論樹」19号、20号。
                     (2009年6月10日 伊藤佐枝)


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詳細情報 :::廣橋香文


夏目漱石初期作品攷
――奔流の水脈――


 奈良女子大学に提出した学位論文を一部改稿したものです。「倫敦塔」とメリメ「シャルル十一世の幻想」、「幻影の盾」とヴォルスンガ・サガ、「趣味の遺伝」とD.G.ロセッティ詩、「草枕」と『万葉集』、「夢十夜」の「第一夜」とイェーツ詩、同「第十夜」とゴンチャロフ「オブローモフ」、「虞美人草」と作者自註といえる「断片」メモ、これら各作品の材源や原構想と目されるものと完成作品との比較考察を通じて、各作品を読み解くための新しい角度を提示した論考です。《破綻》しているとの従来評が多い作品もありますが、矛盾点と指摘されて来た部分を捉え直し、再評価を試みています。
                      (2008年11月18日 廣橋香文)



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詳細情報 :::永吉寿子

太宰治「春の枯葉」と占領下の〈学校〉表象

本稿では、太宰治「春の枯葉」(『人間』1946・9)に描き出された二人の教師の対照的な様相を考察する。その際、占領下におかれた教師が抱え込む矛盾を析出し、それが教師の主体を分裂させていることを明らかにした。敗戦後の空間を生きる教師の分裂した様相は、登場人物の死によって幕を閉じる「悲劇」として描き出されたわけだが、こうした幕落ちによっては完結しない舞台上の〈空白〉を観衆・読者がともに引き受けねばならないところに、太宰治のドラマトゥルギーの核心があることを指摘した。
                     (2008年11月17日 永吉寿子)


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詳細情報 :::松田忍




太宰治『貧の意地』『遊興戒』試論
――真山青果『小判拾壱両』『西鶴置土産』の比較―― 


 「研究には資料が必要であり、新資料が研究を進展させる。」と、近世の先生から教え戴いたのは、学部の時でした。このお言葉を胸に刻み、太宰治作品の典拠となる<新資料>を紹介したのが本稿であります。 従来の研究では、太宰治『貧の意地』『遊興戒』の「登場人物の造型や会話の中身等」は、太宰の創作と論じられてきましたが、実は真山青果の翻案戯曲『小判拾壱両』『西鶴置土産』を下敷きにしていた事を論証しました。  (2008年11月18日 松田忍)



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詳細情報 :::戸塚麻子


梅崎春生「ボロ家の春秋」
――関係性の多元化をめぐって――


 本稿は梅崎春生の一九五〇年代の代表作である「ボロ家の春秋」(『新潮』五四年八月)を取り上げ、梅崎春生が当時抱えていた問題点を明らかにしようとするものである。
 「ボロ家の春秋」は〈欲望自然主義〉にまみれた人間達が、一軒のボロ家をめぐって騙し騙されるというドタバタ喜劇である。この作品が従来の梅崎作品と大きく異なる点は、一言でいうなら〈関係性の多元化〉の発生である。複雑で多様化した関係性を描くことが試みられているのである。この作品は〈契約関係〉や、大都市における邂逅や、〈オセッカイ〉をめぐる物語として読むことができる。大都市における疎外を乗り越えるための新たな人間関係の模索という問題設定は、同年同月連載開始の長篇小説「砂時計」にも共通している。梅崎の他者認識の変容とともに、当時の社会が、より複雑で多様化したものとして彼の眼に映りはじめていた証左といえよう。(2008年11月20日 戸塚麻子)


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詳細情報 :::松本陽子




  上海1944−1945 武田泰淳『上海の螢』注釈
――編著・注釈――
大橋毅彦・趙夢雲・竹松良明・山崎眞紀子・松本陽子・木田隆文

 戦時下の上海で日本の文化工作機関としての役割を担った中日文化協会(作中では「東方文化協会」)が舞台となっている武田泰淳の『上海の螢』(「海」1967年2〜9月)には、当時上海に居住した石上玄一郎・阿部知二・田村俊子をはじめとした日本人文学者や、陶晶孫・張資平といった中国人作家が多数登場する。語り手「私」(=「武田先生」・作者自身がモデルとなっている)を結節点とした、日中の文化的見取り図が示されている。
 本書は、『上海の螢』に注釈を施しつつ読み進めるものである。作中に描き出された歴史的事実やモデルとなった人物達について、現時点で可能な限りの調査を行ない、注釈文とともに関連年譜・関連地図を示した。また、同時に、武田の他作品の再読も進め、より豊かな作品読解を目指した。編著メンバー6名による、3年越しの共同研究の成果である。  (2008年11月19日 松本陽子)  

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詳細情報 :::鈴木暁世


芥川龍之介「シング紹介」論
――「愛蘭土文学研究会」との関わりについて
   

本稿は、第三次『新思潮』(一九一四・八)の巻頭に掲載された「柳川隆之介」名義の「シング紹介」が、芥川龍之介の旧蔵書に残存しているMaurice Bourgeois, John Millington Synge and the Irish Theatre (London, Constable, 1913)からの翻訳と捉えてもいい程の全面的な引き写しであることを明らかにし、第三者による代筆が疑われてきた本作が、芥川自身が執筆したものであることを指摘するものである。特に、『原本』と「シング紹介」の異同を比較することにより、本作の主題、芥川におけるアイルランド文学受容の根拠及び芥川の文学における本作の位置づけ等を検討したい。そして、芥川龍之介、西條八十、日夏耿之介らが参加した「愛蘭土文学研究会」の活動と、『新思潮』『假面』『帝国文学』等における言説の検討を通し、芥川龍之介とアイルランド文学との関わり、大正期日本におけるアイルランド文学受容の一側面を浮き彫りとすることを目的としている。 (2008年11月5日 鈴木暁世)



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詳細情報 :::久保明恵


太宰治『皮膚と心』のレトリック
―方法としての〈身体〉―


 本論文は、太宰治『皮膚と心』(『文学界』昭和14年11月)のテクストに現れる、「ごらんのとほりの、おたふく」という言葉や、吹出物の「むづ痒さ」を表わした「蝦。苺。蟻。蠅。うろこ。…(後略)」といった表現に着目し、テクストの語りの方法を分析したものである。これらの言説は読者が文字を目にするという視覚体験を、語り手の〈身体〉を見る、あるいは、痒みを知覚するような体験へと接続する。こうした、物語言説上のイメージを経由して、語り手の身に起こった事件(吹出物の出現、夫との結婚をめぐる回想など)へと読者を、その〈身体〉ごと取り込むのが、『皮膚と心』の語りの特質であることを明らかにした。その上で、語り手のスキャンダラスな〈身体〉と、女語りという方法に内在する書き手/語り手の権力構造をも利用するかたちで読者をとりこむことが、太宰の女語りの特質の一端であると指摘した。(2008年11月26日 久保明恵)

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詳細情報 :::岡村知子

太宰治「ダス・ゲマイネ」論

 修士課程一年目の終わりに、丸山眞男の主著の一つである『忠誠と反逆』を参照しながら、何とか書き上げた論文です。〈近代的自我〉や〈転向〉や〈明治の精神〉といった文学史上の大文字の概念を、どのように理解し、結びつけていけばよいのかという課題を前に立ち尽くしていたときに、丸山眞男の歴史叙述に出会いました。その論理的な一貫性や文体の美しさに魅了され続けるとともに、これからも多くのことを学びとっていければと思っています。 
                      (2008年11月19日 岡村知子)

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詳細情報 :::浅見洋子

 〈生〉と〈死〉が出会う場所 

 金時鐘の『猪飼野詩集』(1978年10月)で最も印象に残っているのは、冒頭の「見えない町」と最後に置かれた「へだてる風景」です。「見えない町」では日本人の視界から欠落した在日朝鮮人の町猪飼野が激しい調子でうたわれ、「へだてる風景」ではその猪飼野を流れる平野川を通して〈在日〉の生活が静かな調子でうたわれています。
 金時鐘は、かつて徴用され、猪飼野を切り拓いた一世たちの悲しみを、コンクリートの下に埋もれた「地下足袋」のイメージによって描き出しました。そしてその傍らには、死者の記憶をいとおしむようにして生きる〈在日〉の生活があります。『猪飼野詩集』において、平野川は〈生〉と〈死〉が出会い、抱き合う場として造形されています。
 このような場所の発見が、〈報復〉と〈共生〉という相反する行為を相補い合う形で両立させるという、金時鐘独自の日本語表現を可能にしたのではないでしょうか。それは、〈在日〉の怒りや痛みを読者の中に一点の染みのように浸透させる、金時鐘の表現の核となっています。 (2008年12月4日 浅見洋子)

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